置いていかれる二月の訴え。

言葉は便利。
それっぽい言葉を並べれば、それだけで綺麗だ。
綺麗に見えるモノは、極論、そう見えているだけで中身なんていらなくても良い気もする。

夜は多分本当に時間がゆっくりなってて、だからこそなんでも綺麗に見えやすいんだろう。
浸りやすいんだろう。
いいなぁとか、そんなやすっぽい感情でも、簡単に、少なくとも本人にとっては、綺麗に見える。

手書きよりも、デジタルのほうが好き。
そのほうが、綺麗に見える気がする。
本来、何もないものに意味をつけたほうが、なんだか綺麗なような気がする。
無機質なものに、名前とか、感情とかのせたくなるのは、ないものがあるように見えたほうが綺麗な気がするから。

思うとか、きがするとか、うっせえ。
うっせぇがうっせぇ。流行りかよ。

もはや綺麗という字がもう綺麗。手に余る。

夜はゆっくりだけど、止まらないので、当たり前に。
この意味をつけたがる、つけたくなる、感情という意味のついたやつを、ここにおいて

今日から、三月。お休みなさい。