君に見せたい「 」があるんだ。
「」の中に景色、とか入れとくと、よくある歌によくありそうですよね。
どうも、こんばんは。須藤飛鳥です。
ちまたでは、ギジレン5さいっていうお祭りがやってますね。なにやら一ヶ月間劇場を貸しきって様々な公演やらイベントをやるらしく、単純にすげぇなぁって思いますよね出てるんですけど出るんですけど。
ギジレンは何が素敵って、出てる役者さんみんながその作品を好きなとこっすよ。自信をもっておもしろいってみんなが声を高らかにあげて、実際本当におもしろい。
まぁ、これは見てみないと本当かどうかはわからないと思うんですが。
なんでもいいけど、それを、何をもって、見たい、って思うんですかね。
色んな見れるものに溢れてるなかで、なんでそれを見たいって思うんですかね。
欲しい、が一番の欲望だと僕は思いますけど、見たいも同じくらい強い欲だと思うんですよね。
やりたい、だとちょっと違う。何かをするには、色々邪魔になるものがあるじゃないですか、準備とか、経験とか。
見たいはそんなもんいらないですからね、見ればいいだけ。簡単に、手頃に満たせる欲。
そのなかで、色んなものがあるなかで、その上で、それを、見たいって思うのはなんでなんすかねー。
一番は、手頃さだと思う。
YouTubeとか、Twitterとかそういういつでもどこでも誰でも見れるものがあって。見たくなくても見れるようになってて、少しでも目につくもんなら拡散されて、そりゃ見るよね。面白いし。いつでも見れるし。
あとは、知名度かなぁ。
結局、知ってる人が多ければ、そんだけ話題になって、流れになって、見るんだよ。
面白いってことがわかるようになってるしね。
じゃあ、そうじゃないときは?
舞台とかさ。
たかだか、多くても1000人とかで、誰かも知らんひとが宣伝してて、それを見るってなんでなんだろうね。
怖いもの見たさって言葉があるけど、舞台なんてまさにそれよ。
見に行かなきゃおもろいかどうかもわからんし、目の前でやられるし、高いし。
ほんと蓋をあけなきゃわからんよ。
なんだろうね、見たいって思わせるものって。
芝居っていう、見てもらうモノを作ってるからさ、見てもらいたいんですよ。
んで、俺がここでさ、いくら作ってるものがすげーとか、どんだけ感動するとか、なんか色々言っても、これを見てもらわなきゃ、意味ないわけやん?んで、その上で、その紹介してるものを見たいって思ってもらわなきゃいけないわけやん?
なんた労力のいる作業なんだ。
でも、やるんだよ。なんでかというと見て欲しいから。
そこに戻ってくるんだね。
見て欲しい景色があるから。見て欲しい台詞があるから。見て欲しい逆があるから。見て欲しい感情があるから。
気持ちだよ。気持ち。最終的に気持ち。
技術とか、ノウハウとかないなら、気持ちに訴えるしかない。
どんだけクサイものかいても、おもろいものかいても、うまいことかいても、気持ちだよね。やっぱこれだよね。
だって、それを、あまたある中のそれを選んだのだって気持ちでしょ?
だったらその気持ちを見せる芝居をしてる俺らがやれるのなんて、気持ちに訴えるだけしかないじゃん。
台詞と一緒だ。なんもかんも乗せろ。
良いものが良いものであらるために、見て欲しい。
なので、こんなくそみたいな中身のないブログでも、ずっといつまでも訴え続けていこうと思いまする。
やれないよりやったほうがいいよね。マジで。
もしかしたら届くかもしんないしね。
見てくれよ。
無責任なこと言うけどさ、なかなかのお金はらってつまんなかったとしてもそれでええやん。
つまんなかったなって話で盛り上がれるよ。もしくは忘れるよ、忘れりゃいいやん。
でも、それが、一生わすれらんないすげーものかもしんないやん。
どこにでもある、いつでもみれる、そんなものより、
目の前の、誰だかしらんやつの、ちょっと格好つけた、作り物のほうがあなたの心を動かすかもしれないよ。
そういうものがあるよ。絶対絶対あるよ。
それは、見ないとわからないよ。
見に来れば、見れるよ。
何とは言わないけど、いつかもわからんけど、見て欲しい。見に来て欲しい。
キジレンおもしろいよ。
少なくとも俺は、そう思って目の前の芝居をするよ、本を書いてるよ。
あなたにむかって、話かけてるよ。
このラブレターみたいなものを書いているよ。
ね。
こっちむいてよ。
須藤飛鳥