お前はエスパーか。

タイトルは今日見てきたお芝居の印象に残った台詞。
一言一句合っているわけではないけど、こんな事を言っていて凄く、残ってた。
良かったなぁ。


どうも、こんばんは。須藤飛鳥です。
相も変わらず、だらだらと毎日を過ごしております。
ネガティブな話ではなく、事実として。



最近、こう自分の内面に触れる?考える機会が多いんです。センチメンタルな気持ちになるとかではなく、機会として、そうなることが多い。
今、僕は本番中で、即興劇をやっているのですが、本番でも、稽古でも、一人で舞台に立つことがあって。
舞台に一人で立つ。ってのは初めてではないんです。自分の団体のお話で、すこしではありますが一人でお話をしたので。
ただ、即興?っという環境で、須藤飛鳥が図らずとも全面に出る環境で一人になったのは初めてだなーーって。

一人で立つと、そりゃ当たり前なんだけど、誰も助けてくれないわけで、自分で頑張るしかないじゃないですか。
でね、先日稽古で自分の一番辛かったことをモノローグ形式で話してみようってなったんですよ。
思い当たることは一個しかないから、その話をして、僕てきには、全然話せる事だから話したんです。



僕ね、7年前くらい前かな?家出する形で一人暮しを始めて、そっから親父に会ってないんです。
そのとき初めてした大喧嘩で、親父の事が大嫌いになって、今でも嫌いで、そっから連絡もとってないんですけど、そのとき、もう本当にムカついて、くやしくて、家の食器棚にあたって、パンチしたんです。
そしたら、ガラス割れちゃって、やべって思ったんだけど、もう家出するんだし関係ないやと思って出ようとしたら、母親に見つかってしまって、一緒にガラス片付けることになって。
そしたら、その日母の日で。
なんか、さっきまで人生最大にムカついてたのに、急に虚しくなってきて、

みたいな話をしたんです。
普通に話して、そのあとその時の自分に話したりとかして、その時も冷静で、でも嘘ではなくてみたいな、体験で。
本番でも全然違うけど、自分の気持ちに向き合う演目やらせてもらって、好きでもない寿司たべたり、大統領になりたくなったりした。



その時も、今も、なんでこの話をしたのか、明確な理由が、ちょっとわからない。
今はなんで、この事をブログに書いてるのかってこと。
さっき見た芝居が、すごく内面とか、気持ちに触れる話だったからだろうか。



やりたいこと、成したいこと、欲しいことに理由があるのは僕は正義だと思う。
そのほうが強い気がする。そのほうがすごいと思う。
何かを成す人ってのは、正しかろうがなんだろうが、自分のなかに明確な理由があるのだ。

相変わらず俺はこうやってブログを書いて、いつものように、口のようなウジウジしたことを書いて、なかば捌け口のような記事を、多数にさらす。きっと誰かに何か反応されたいから。

どうして?だろう。


いつ俺は俺を肯定するのだろう。そしてそれはどんな理由なのだろう。なんで今は肯定できないんだろ。なんで構ってほしいんだろ。なんでワクワクしたいんだろ。なんで寂しくなることが増えたんだろう。なんで誰かに憧れるのだろう。なんでなんでっていってんだろ。


理由はきっと、様々あるのだろう。




考えれば考えるほどわからぬ。考えるのは好き。でも答えが出ないのは嫌い。
でもそんな僕を好きといってくれる人もいる。
でも、手放しで俺は俺を好きとは言えない。好きなとこもある。
そういうのを繰り返して、だらだと日々をすごして、もうすぐ30になります。そろそろ答えでないのかなー。

こう、歩いてたらすれ違う人とか、みんなそこにいる理由があるわけでしょ?
例えば、俺がトイレにいってから歩いたりしたら、そこですれ違わないわけだし。
別にその人となにか起こるわけではないですけど、そのときそこにいるのは理由があるんだよなー。事実として。

出来たらそれが暖かいものであってほしい。
出来たらそれが嬉しいものであってほしい。
出来たらそれが、僕にとって、かけがえのないものであってほしいな。




理由はなんだろ、そうあってほしいから。とか?





僕の心が読めるとか、メンタリストとか、占いしとか、
こう誰か的確なやつ教えて欲しいぜ。
それに従うのかは、わからないけど。

わからないけどさ。






須藤飛鳥