出来れば使いたくない台詞ランキング一位「いつか、きっと。」。

なんか、そうやっていっておけば簡単に感傷的な気持ちとか、シーンになりそうじゃないですか?曖昧な感じが。便利な言葉だから、それっぽい感じになるじゃないですか、曖昧な感じが。
しっかりと意志をはらんだ強い言葉が好きです。


どうもこんばんは。須藤飛鳥です。

ちなみに、使ってみたい台詞ランキング一位は、なんか一言でそれまでのストーリーとか心情が一変するやつです。
曖昧やないかい。


改めましてこんばんは。須藤飛鳥です。

いやー、台詞。台詞って難しいですね。書くのもやるのも。
役者やってるわけですから当然絶対切っても切り離せないものなわけじゃないですか。
芝居をやるなら絶対台詞を吐くわけで。
んで、台詞を吐くとなるとそいつの気持ちがそこにのるわけじゃないですか、となるともはやそいつの人生をしゃべってるのと同じようなもんなわけじゃないですか。

重っ!!!!!って思ったわけですね。ふと。

だからね、なんかこう上手い?台詞が書けないなーと思う次第なんです。

言うのはね、もうひたすら向き合うしかないじゃないですか。もうあるんだから。
そいつともうにらめっこするしかないと思うんですよ。

でもね、書くって。
こんな難しいことは無いと思いますよ。


僕はね、それぞれの台詞の正解は一個しかないと思うんです。
伝わってるかな。
なんでもいいものなんて無いとおもうんですよ。で、言いたいにしろ、言いたくないにしろ、そこに台詞として、何かがのっと言葉として書かれてるなら「正しい」ものは一個だけしかないと思うんだよな。言い方とか、トーンとかそういうんじゃなくて。その台詞がその台詞としてある意味みたいなやつ。

それをもう一個一個探して、?つくって?本にするってもうとんでもなくやべーなーと思います。
それが書き手の想いとかではなく、その役の気持ちとして透けてくるモノを見せられた日にはもう本当たまんないっすよね。たまんない。幸せの極み。

だからなんですかね、曖昧なものだと嫌なの。
いつか、きっとが全て曖昧なものだとは思いませんけど、この台詞についてる付加価値、みたいなものの方が使われてることの方が多いきがするんすよね。となると、なんかもったいないなー、というか気持ちが離れるな~って気がします。気がしますって曖昧やないかい。

曖昧なものを表現するなら、言葉ではなく空間とかのほうが好きだなー。そんなかで確かなものがあるとするなら台詞であってほしいなー。
儚いけど確かな台詞そういうのが好きだなー。



寂しい。
とか。


嘘です。そんな良い台詞じゃないや。
全然儚くない。台詞としては。むしろ強い。でも、寂しいって事じたいは凄く曖昧な気がする。

あいつなんなんすかね。
そーいやー、寂しいを表現するとき、台詞として寂しいって書かれることはあんまりない気がする。それこそ雰囲気とかで表現するほうが多いような。
あんなに日常生活では多用されんのに。




寂しい寂しい。





なんで寂しさって一人ではどうにもできないんですかね?

なんで寂しくなると誰かに頼りたくなるんですかね?



なんであんな曖昧なものにこだわるんですかね。意外とすぐ忘れるのに。

ちょっとの事でどうにでもなるのに。

でも気づいちゃった時の破壊力半端ないんですよねー。

嫌嫌だ。

寂しいって事を表現するなら、大丈夫って台詞言わせたほうが寂しそうに見えるもんな、不思議。

凄いな、寂しいって。
凄く嫌だな、寂しいって。



寂しーい。




以上、台詞というテーマに隠れて、ただ、寂しいって事をアピールしてるだけのブログでした。

どうにかなるだろ。




いつか、きっと。






須藤飛鳥