ぬらぬらぬらりひょん

あ、座敷わらしでもいいや。
どうもこんばんは、須藤飛鳥です。

このブログを書く前に、ひとつ謝ります。自分に。
僕は次ブログを書くのは絶対にこれだと決めていて、それを載せるまで他のは書かないと決めていたのですが、破ります。書きます。書きたくなってしまったのです。



ぬらりひょんでも座敷わらしでもなんでもいいんだけどさ、人の心に滑り込みたいと思ったんです。
なんか、いやらしい事ではなくて、あたかも当たり前のように、そこにあるのが普通であるように、滑り込めたらなって。
まぁ、こんなことを思ってる時点で下心、自分の気持ち丸だしなのだけど、そうなりたいな、そうなれないかなって思ったんですよ。
わって入るのではなく、滑り込む。滑り在る?

様は、新しいことであればいいんだ。
はじめて美味しい食べ物を食べたと時みたいに、はじめて映画をみて涙を流した時みたいに、ふと気づいたときにはもう存在してる、気づいたらなしではいられない、それでいて邪魔にならないのに大切なものであればいいのだと。
そんなものがあるのかどうかはしらないけど。


気づいたからあるのか、あるから気づいたのか、それはどっちでもいいけど、ないようである、都合の良いときだけ存在できるようなそんなものに惹かれるのです。

俺は俺が好きで、俺を認めてほしいけど、それではいけないなと思った。いや、何度も思ってる。
ここから先にいくには頑張らなけりゃならんのだよ。
折り合いをつけないかんのだよ。
シンプルなことこそ難しいのだと痛感しやした。

大切とか、大事とか、そういう気持ちはひとりではどつにもならない。
対象があるからあって、注ぐのは違うんだよ。
それは自分の気持ちではないんだよ。もらってるんだよ。


素敵な事に心奪われるように、はっ ってなるあれに気づけたら、気づいてもらえたらいいねぇ。





須藤飛鳥