飛べない魚は泳ぐだけ

基本的に魚介類は嫌いですが、白身魚は好き。
鯖の塩焼き最高。

どうも、こんぱんは。
須藤飛鳥です。





、、、、お久しぶりです。


どうやら一ヶ月以上も書いてなかったようです。先日ご丁寧にはてなブログから記事を書いたらどうですかとメールを頂きましたよ。優しいですね。

言い訳をしますと、最近寒すぎて帰り道あるくのがだるくなり、そうなると歩きながらブログを書いてる僕としては全然かけなくなったという訳ですね。
家とかで書けばいいだけなんですけどね、だらだらしちゃうんで。


さて、このブログを書かない一ヶ月ちょっとの間にも色々とあったわけですよ。
とりあえずとして芝居はじめがあったわけですが、それがなんとインプロのイベントだったのです。僕にとっては人生初のインプロイベントでした。

インプロというのはいわゆる即興劇ってやつで、その場で、出されたお題などにそって即興でお芝居を作っていくわけですね。(厳密にはもっと色んなものがあるんでしょうけどとりあえずはこんな感じ)

これがなんとも難しいわけですよ!!
いやね、基本的にはお芝居をするわけですから、普段とやることは変わらないんですけどやはり「即興」というのがでかい。
何ヵ月とか時間をかけて稽古をし、なんとなく共演者の人となりとかを知って、少しずつ作っていくのとはやっぱり訳が違うわけです。

ぶっちゃけ、最初お話をもらったときちょっと舐めてたんですよ、インプロ。
即興ってことは用は本番中のアドリブみたいなもんだろと、だったら出来るわ。
そもそも、即興でその場で何かをしてお金をもらうなんてよっぽどの事だし、大丈夫かよこのイベント。と。
そんなことを思いながらも、やったことのないことには挑戦したかったのでお話を受けました。

即興劇のイベントではあったのですが、稽古が四回ほどあったんですよ。何をするのかというとはじめてインプロをする人たちの為にもインプロとはなんぞやみたいなことを教えてくれると。
いやいや、なんぞやもなにも即興でしょ?稽古もくそもないやろとか思いながらも稽古に行ったわけですけど、ほんと僕は何もわかってませんでしたは。



インプロは技術の塊です。(僕の意見)


細かいメソッドとか技法みたいなものもいっぱいあったし、その場の空気、環境、相手、人数、ひとつ何かが違えば、やれること、やるべきこが全然変わってくる。
乱暴な言い方ですけど、普通に稽古して本番やるよりも全然難しいですよ。
役者の本番中のアドリブと似てるとこもあります。でも、全然別物だなーと感じた。
なんかね、状況にもよるけど、本番中のアドリブって役者のなんとかしてやろうって気持ちとか、もっとウケたろうってやつとか、そういう不純物が多いんだよね。
インプロはそれが少ない。少ないというか、それも含めてそこにいる人たちと、それこそ、お客さんも含めて、一個のゴールみたいなもんに向かってかないと良いものにならない。そんな風におもいました。

だからめちゃくちゃいい経験になった。普段のお芝居に役立つこともいっぱいあったし、なにより、単純に楽しかった。インプロに出会えてよかったとおもったし、またやろうと思った。


共演者のひとりがいってたんだけどね、役者だったらインプロ百時間くらいやったほうがいいと思う。
やらなきゃわからないけど、やったら得るものいっぱいあるよ。
僕はインプロを軽んじてたことを反省しました。インプロはすごいものです。




とまぁ、こんなかんじでインプロのイベントに出たって話でした。
別にね、イベントに出ただけだったらわざわざブログに書くことでもないかなと思ったんだけど、これちょっと付随して最近思うことがありまして、それが書きたかったんです。



何度も言ってるからあれなんですけど、インプロは即興劇だからその場で色々やるんですけど、即興だといってもめっっっっっちゃいっぱい色んな事考えるんです。


そう、考える んですよ。



僕、どうやら考えるっての好きみたいで。
とはいっても、チェスとか将棋とか、オセロとかそういうの考えるのは嫌いなんですけど、なんか、人の感情とか、なんていうのかそういうの。
だから本を読んだり芝居したりするのも好きなのかなーって。

んで、こないだたまたま
あ、今のところこの脚本が一番好きだ。っておもえる本に出会ったんですけどやっぱり考えることたくさんあるわけなんです。そんで思ったんですよね。




俺はお芝居で役者が透けるのは好きじゃないらしい。


いやね、あれだけ一番になりたい一番になりたいって言ってるくせになに言ってるんだよって話なんですけどとりあえず聞いてください。

僕はね、役者は脚本やそのお芝居を表現するために存在するべきだと思うんです。
だから、台詞を役者のいいやすいように変えたりするのも嫌いなんですよ。言いづらかろうがなんだろうが、そう書かれてるんだからそう表現するために役者が努力するべきだと思うんです。
だから、最優先に役者がするべき事は脚本どおり?に役に命を吹き込んで役をつくりあげるべきだと。そう思ったんです。

役者のよく見えたいとか、こうしたいとか、そういうやつは二の次、その後だなーって。
というか、役を、お芝居を完成することに一生懸命にやって、それがちゃんと出来たんなら勝手に役者自身の個性なんて後からでてくるなーって。


そんなことを考えておりました。
なんか、文字に起こしたらあのとき感じた事とちょっとずれてる気もするけど、だいたい言えてる気がするんでこのまま書くことにしました。

これが僕にとっては結構衝撃的な事で、これからお芝居をつくっていけ上でけっこうやりかたかわるなと思ったのです。
それに気づけたのもこうやって考えてたからで、俺はこうやって芝居するんだ!みたいに考えることを放棄するのもよくないなと叩きのめされました。


結局のところ、こういう考えも乱暴に言ったら個人の好き嫌いだし、納得いかないと思うひともいるとは思う。
でも、これは俺のブログだし、これを書いたことによって誰かと話す機会ができて、考え合うことができたらそれだけで意味があるなとおもったんだー。


飛鳥なんで、これからも空を目指して、色々もがきながら泳ぎ続けていこうと思います。
読んでくれてありがとう。




須藤飛鳥