この素晴らしくもない人生に、

タイトルって、大事じゃないですか。だからすごい美しいものを考えたんてすけどおもいつきませんでした。せちがらい。

どうも、こんばんは。須藤飛鳥です。    




お久しぶりです。

滅茶苦茶久しぶりにブログを書いています。書こうと頑張っております。
最近はバイト暇暇おじさんか、プラモ大好きおじさんだったんで、ちゃんと発信者なんだよってこと示さなきゃなと思ったんですよ。書くこと全然ないんですけど、、、。


書く事って、そのまま書きたい事じゃないですか。
それがないっぽいんですよね、今。

というか前のブログもですけど、ここ二、三回位は書き方が違うだけでほぼ同じないようだなとも思うし。
でもそれは伝えたいことが変わらず一緒っていう良いことだなとも思うですけど。

一個、これってなったらしばらくそれにハマるんですね。で、だいたいそれがあれば満足出来る形になれるんです、ぼく。
だから最近はプラモばっかだったんですよ。プラモのターンだったんで。
なんでお芝居の事とか、自分の気持ちとか発信する必要がなかったていうか、知ってもらいたいとか無かったんですよ。

ある程度幸せだし。





ただ、これ書いてたらふと、思った。




なんで演劇やってんの?
いや、違うな、何が楽しくてやってんの?かな。

んー、違うな、何が楽しいの?君はかな。




世間ではコロナ流行ってて、演劇の死だなんだ言われてて、そりゃ思うところはあるけどさ、なんかやっぱり自分には少し遠くてさ、
たしかに色々厳しいけど、そんなに何かは変わらなくて、楽しくプラモできて、たぶんきっと、芝居できてさー。


つまんねぇなぁ。って思うよね。



だから、書くこともねえんだなぁって。
それは何がいいんだろうね。


くそ辛かろうが、くそしんどいかろうが、コロナだろうが、なんにもねぇ平坦なものよりは美しいと思うんだ、俺は。
そうじゃなきゃ、意味がないなぁって。
ありきたりなだけじゃつまらんて。ありきたりでも本人には特別なものが美しいと思う。


そうあるような、そう思える事を見つけないと。探さないと。


結局今回も、久しぶりなのに、いつもと同じ、誰に向けたのかもわからない、けど見ては欲しい、なんともない、ありがちなこれを、無理矢理コロナにかけながら、それでも、書いて、進んだ気になるんだ。


いつか、この素晴らしくもない人生に、自分で花束を送れるように。おくれるように。


これで〆るのやだな。本当にやだ。
書いたらどんどんやになってきた。
なんでこんなになんもないんだ。
何が欲しいんだ。
てか、なんで欲しいんだ。
なんだ、
なにがいいんだ。
なんでこんなになんか欲しいんだ。
なんでこんなにみてもらいたいんだ。
なんで満足しないんだ。
よくない?それでよくない?
よくない。
よくない。
やっぱり嫌だ。
嫌だ、誰か。

きっと誰かに言われた何かじゃ満足しないけど、それでも誰か、


誰か、




誰かぁ。




お願いだからさぁ。







須藤飛鳥