誰が為に鐘は鳴る。

カラン、コロン。カラン、コロン。
まぁ、本来の意味は置いといたとして、誰かの為に鐘が鳴るというのは良いことですね。


どうも、こんばんは。須藤飛鳥です。
、、、、お久しぶりです。
すみません、全くブログを書く気分にならず放置してしまいました。
いやね、書こうとはおもってたんですよ?でもね、なんか、筆が乗らなくて。←何様だよ。
なにはともあれ戻ってまいりましたので、何処の誰に需要があるかわかりませんが、少なくとも僕は今、書きたいので書いて行きます。



僕は明後日(日付的には明日)、友人の結婚式に行きます。
結婚式、良いですね。
出費がかさむとか、段取りが多いとか、そんなことはどうでもいいんです。誰かと誰かが結ばれる。しかもそれが自分の友人ときたらそれはもう、単純にめでたい。喜ばしいじゃないですか。


ありふれた言い回しではありますけど、この広い世界の中から、一緒になりたいと思う一人と出会うというのは、やはりどう足掻こうと奇跡なんだと僕は思います。
人生何年あるかはわかりませんが、大抵の人はその半分以上を、その誰かと過ごすと決めるわけじゃないですか。奇跡だ。凄い。


僕は子どもが好きです。役者ではなく、保育士になろうと思ったくらいには子どもが好きです。
だから、不純かもですがその為にも結婚したいなと思います。思いますが、結婚出来る気がしません。
いや、結婚していいと思えません。

何度も言いますけど、結婚って奇跡で、凄い事なんですよ。
残りの人生をその誰かと、そしてもしくは、その誰かとの子どもと、一緒に歩んでいくわけです。
そしてもう1つ、責任と。

もうこの責任って言葉、僕のブログでは常連ですね。
でも大切ですよ、責任。
忍者じゃないよ。忍者はにんにん。失礼。


僕の親は離婚しています。
別にそれを恨んだことはないし、小さい頃の話だから今さら謝られたりしてもピンとはこないけど、少なくとも僕の人生は変わったわけです。
最近は離婚する夫婦も珍しくありません。僕の周りにも沢山います。
たった一人の誰かと出会ったはずなのに手放してしまったわけです。その誰かを、責任を。
あまり、良いことではないなと思います。

簡単に結婚出来て、簡単に離婚できる世の中なのです今は。
簡単に責任を持てて、簡単に責任を放棄できる世の中なのです今は。



だからこそ、守らなきゃいけないんじゃないかなと思う。その誰かを、その責任を。

だからこそ、大事にしたいんだよ。その誰かを、責任を。


そりゃね、一生変わらない愛なんてないと思うよ。でもだったら、変わってしまったのならまた愛せばいいじゃない。
大変?当たり前だろ。何度も言ってんだろ。奇跡なんだよ、結婚は。
健やかなる時も、病める時も、どんな時も、いつまでも変わらない愛は誓わずとも、変わり続けても離れない愛を、その誰かと一生いっしょにいたいと思う気持ちを誓えよ。

愛は下心だなんてい言いますけどね、いいじゃないすか、下心。
下心は、誰かの為に良くなりたい、何かをしたいっていう純粋な気持ちですよ。素晴らしい。
うだうだとご託を並べてきましたが、純粋に幸せになって欲しい。

人は忘れる生き物です。僕のこんな言葉や、誰かとの大切な思い出、初めて会った時の始まりの気持ちも、だんだんと薄れていきます。
だったら、3つのなんちゃら袋なんかより、多きな、沢山の思い出や気持ちをしまっておける、大きな大きな袋を一つ、持ってた方がいいと思うな。

一人で持つには大きい、誰かと持ってちょうどいい、おおきいやつね。


ということで、結婚おめでとう。
二人の未来に数多くの幸、思い出があらんことを。
カラン、コロン。カラン、コロン。



以上、勝手に友人代表のつもりで書いたブログ、もといスピーチでした。


須藤飛鳥