AM4:27-SELFISH 『BreathtakingBeauty.』

はじめにー


ここまで見に来てくださりありがとうございます。
AM4:27-SELFISHという団体(僕しかいません)の須藤飛鳥といいます。
こちらの記事は、コロナ渦でエンタメがやりずらい、触れにくい中、だからこそ今出来る事は何かないか?自分に出来る事を、やりたい事をやってみよう。
そう思い企画に至った BreathtakingBeauty.の概要、そして僕の気持ちを綴った記事になります。
最後まで目を通して頂けたら幸いです。



企画概要ー


BreathtakingBeauty.
ーそれは、息を飲むほど美しいー


事の発端は、僕が今年の7/15にツイートしたひとつの呟きになります。
以下本文↓
https://twitter.com/fs1229suu/status/1283316487017517057?s=19
こうさ、ソーシャルディスタンスも兼ねて、四方をアクリル版で囲まれた狭いスペースのなかに、めちゃくちゃ綺麗に着飾った俳優女優をテーマごとに入れて鑑賞する『閉じこめられた博物館。』
的なことしたい。
息を飲むほど綺麗なやつ。


このツイートに、僕が思っていたよりも多くの反応を頂きました。


僕は普段、舞台役者をしているのですが、現在コロナの影響により役者は、お芝居は、エンタメは、以前の様に自由な発信が出来ずらい状況になっています。
そして、見に来てくださるお客様も、手放しには劇場足を運びずらい状況です。(あくまで、僕は舞台役者なので、直接足を運び生で舞台を観劇する、という舞台芝居に限った主観ではありますが。)


そんな中、ふと思ったんです。
触れる事が厳しいのであれば、触れられなければいいんだと。

制限、というのは何も悲しいものばかりではない。
制限があるからこと美しく、綺麗で、価値のあるものもあるんじゃないかと。
ドラマや映画、小説などでもそういったものは沢山あります。
身分違いの恋愛、権力圧力による弊害への反抗。様々な制限を乗り越え、進んでいく様は見る人に感動を、おもしろさを伝える事が出来る。
舞台に至っては、お客様をその場に招き、生で、リアルタイムでお芝居をします。加工や編集は出来ません。でもだからこそ、胸をうつ瞬間があると僕は思います。

制限は、より綺麗に見せる手段になるんです。

本企画、BreathtakingBeautyでは、そんな制限を利用し、美しく、息を飲むほど綺麗なものの表現を目指しています。



BreathtakingBeautyとは何なのかー


あらすじ
閉じ込められた博物館ー
それは、どこかに在ると言われる綺麗なモノだけが集められた場所。
切り取られたモノたちは、それは幸せに、そこに閉じ込められているという。

コンセプトは、息を飲むほど美しいものです。


そういった形の展示(個展?公演?)をしたいと思っているのです。
詳しい場所、日時は決まっていませんが、今年の十二月中旬頃に、都内の何処かに会場を借りて、この閉じ込められた博物館を展示します。
会場内に、アクリル版で四方を囲まれたスペースを用意し、その中に役者さんやレイヤーさんなどを配置、それぞれのテーマの元、スペースごと装飾を施し、多種多様の綺麗なモノを展示する。という形です。

アクリル版で四方を囲むという制限を設けることにより、それぞれの世界観、綺麗なモノの方向製を独立させて作品としての完成度を高めます。アクリル版で仕切られていることによって触れられないというのは、目の前にあるのに触れる事が出来ない、そのもどかしさを発生させより感情を揺さぶる。
また、飛沫の危険性も下げることができると考えます。

そして、息を飲むほど美しい→息をするのを忘れる→飛沫しない というのも少しかけています。


それぞれのスペースでは、制限、そして欲をテーマに作品を作ります。
欲というのは、僕らが生きている上で切り離せないものです。あれがしたい、これが食べたいなど、執着が強ければ強いほどそれは原動力となり、自身を、そして周りの心を動かすことが出来る。
そこに制限を加えることによって、その欲はさらに強いものになって、より強く、多くの心を動かすことが出来ると思っています。

この二つをテーマとして用いて、スペース事に装飾を施し、それを複数用意して、息を飲むほど綺麗な、閉じ込められた博物館をつくりたいのです。



サンプルとして用意した写真は、『成れの最果て』というタイトルをつけました。
写真一枚だけでは伝わらないとは思ったのですが、彼女(彼)は
アンドロイドです。
一人の男に使えていたアンドロイド。その男が亡くなった今も、変わらず男を待ち続けている。長い年月ずっとずっと。
いつしか彼女には心が芽生え、そして壊れ、それでもずっと待ち続ける。
機械であるはずの彼女の顔は、どことなく男の顔に似てきている。
というコンセプトの元、撮って頂きました。少しでも参考になれば幸いです。







最後にー




見てくださって本当にありがとうございました。

皆様に、作品を通して触れあえる事を願って



AM4:27-SELFISH 代表 須藤飛鳥

それは綺麗ですか?

最近、眠りが浅いのか現実と同じような夢ばかり見ます。こないだなんか家にいたもん。

どうもこんばんは。須藤飛鳥です。

暑い日が続きますね。ここ二日くらいは少し涼しいですが。みなさんはいかがお過ごしていますか?楽しく過ごしていますか?
僕はまあまあですね。新居を楽しんではいます。おうち最高。
あとは、とあるアニメの最終回だけ見ました。それでも面白かった、すごい。やっぱりいいものっていうのは、どう見ても良いものなんですね。
そういうものを見ると突き動かされたりして、ブログとか書きたくなるんですよね。だいたいは一過性で、全然つづかないんですけど。


世の中って、楽しいことがいっぱきだと思うんですよ。もしろ多いくらい。何と比べて、かはわからないけど、時間を簡単に無駄に出来るくらいには溢れてると思うんです。
それは言い換えるとやりたいこと、したいことも言えて、夢とか、そんな大それたものから、趣味とか仕事とかそういうものまで、本当にいっぱいあると思う。
そんないーーーっぱいある事を全部やろうと思うと、時間はやっぱりたりないですね。

あとは、楽しいこと=やりたいことって言いましたけど、じゃあ全部いつでも出来る、やれるかというとやっぱそうじゃなじゃないですか。
大きければ大きいほど、手間も労力も時間もかかる。それは大きな障害だと思うですよね。


僕は、自分で自分のことを浮気性だと思うんです。一途ですけどね。
どうでもいいか。
本当に、色んな事に惹かれるんですよ。本当に本当に。
良いものって、キラキラに見えるんです。本当にキラキラしてるかどうかはわからないけど、なんかやっぱくるものがあるんです。
そういうのを見るたびにそれに惹かれて、憧れて、それを繰り返して。
なんだか、さきには進めてないんですよね。

あんまり認めたくはないけど、世の中には『天才』とか『特別』と呼ばれる人、モノは確かにあって、決まってそういうのはキラキラしてるんですけど、そう見えるんですけど、
それに関わってる人達って、それで満足できてるよなぁって。
それがたまらなく羨ましいなあと。
それさえあれば、きっと他には何も要らなくて、そういうモノだからこそ特別とか結果を残せるんだなぁって。

僕は、そこまで一つにこだわれるものはない。
芝居もきっとそこまでではない。芝居だけ、じゃ満足できない。
事あるごとに感じるキラキラしたものは全部ほしい、全部触れたい、たのしいモノは全部したい。
こうやって言うとなんだか良さそうなものに聞こえる気もするけど、ただ、中途半端だなぁーって。

僕はあとどれくらい生きるのかはしらいけど、残念ながら期限はあるわけじゃないですか。
このまま、なにもないまま終わるのは嫌だなーって。
せめて、誰か少しだけでも、僕に特別なモノを感じる、そんなモノをかみしめたいんです。
だから、やっぱり何か、大事なものを決めなきゃなって。

むかーしブログにも書いたし、いまも気持ちは変わってないけど、なにかをするのに、他の何かを犠牲にしたとしても、後から拾いにいけばいいいと思っています。
ただ、最初につかむもの、それは決めなきゃなって。


曖昧な表現になるけど、僕は綺麗なモノが好きです。
僕にとって綺麗に見えるもの、綺麗に映ったモノがすき。
たぶん、それを自分でつくるのが僕が一番やりたいものなんじゃないかも思う。
それがどういうもので、どんなものになるのかはまだ輪郭くらいで全然わからないけど、
でも、なんかそういうあいまいなものの集合が僕にはとても大事なものに見える。

だからそれを手にいれるために頑張んなきゃなって。そう少し思いました。
何かの分岐点とか、きっかけではあると思う。
今までを否定するかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ、ちゃんと決めて進まなきゃなと思った。
いつも思ってばっか。



見たい、綺麗なものが見たい。
うっすらと見えるそれが、綺麗だといいなぁ。
もらえたらいいなぁ。




須藤飛鳥

感情の機関。

整理整頓が苦手、でも、好きなものが好きな所にあるのは好き。
どうもこんばんは、須藤飛鳥です。


さっきね、すげー面白いドラマがあって見てたんですよ。
んで思ったんですけど、
法律?ってなんかもっとこうなんか、いい形なかったんですかねー。
今のが嫌だとかそういうことがいいたいんじゃなくて、もっとこうしたほうがいいとかそういう話がしたいんじゃないんです。
ただ、漠然と、僕にとっては嵌まらないというか、納得しないなーって思ったんだよ。ってはなし。
そもそもちゃんと勉強したわけでもないからくわしくもないしね。ただ、そう感じたなって話。

ドラマでは検察?と弁護士?とかでててそれをめぐるはなしだったんだけど、
なんかドラマは大抵そこに権力とか付き合いとか実力とかなんかそういうのがまざるわけじゃない。
実際の裁判とかがどうなのかはしらないけど、被害者にしろ、加害者にせよ、それどうでもよくない?加害者はどうでもよくないのかもしれないけど。

なんさ、そういう余分なものいらんよ。ってどうしてもおもっちゃうのさ。

裁判とかするときさ、徹底的に調べるわけじゃない事件を。それはそのまま人を調べるってことになるわけでしょ?
それでこの人にはこれくらいが妥当だ、いやもっとだ、いや重すぎるとか決めるわけじゃない。
それなんか気持ち悪い。
そこに人の感情はいらないと、僕は思う。

裁判だから、まー事件があってってなって、まー罪を図るんだと思うんだけど、
罪には罰。それでええやん。シンプル。
そこにその人の動機とか、贖罪とか、いらない。
それの吐き出す場所はそこじゃないよ。


例えば、ルールとして、この罪を犯したらこの罰。って全てにおいて決まっていたほうが、僕にとっては少なくとも健全。

それが、さらに例えば、やりたくないけどやらされたとか、巻き込まれてしまった、とかで望まない形で受ける事になったとしても、僕にとっては、感情としてはスッキリする。自分が当事者だとしても。それひよって発生した感情も、ぶつけるべき相手が決まってるから。自分にとっては。それによって、さらには自分がまた被害にあっても、それはそれ、だってそうなるとわかっててでもやりたいことなのだから。そして、相手もそれに応じた罰がくだるのだから。
平等じゃん。完全に平等じゃなくても自分の気持ちのやり場はあるじゃん。

逆に、今のまま時間をかけて、色々やって、相手にも色々あって、自分にも色々あって、色々考えて、結果、これが妥当です。はい納得してっていわれて。
それによってうまれたその何かをどうすることもできずに、ずっと抱えて、気にして過ごすほうがよっぽどやだ、辛い。
僕はね。


因果応報、やられたらやりかえす。全然ええもおもう。
それが怖くてできないのももちろん。それが自分で決めたことなのだから。
どっちに転ぼうが、自分のなかにあってしまった感情に、行き場があるじゃない。
それが、明確に、完璧に明確かどうかまではわからないけど、すくなくてもわかりやすいほうが、受け入れやすいなーと思いました。



難しいんだろうけどね、なんか色々折り合いつけて、うまくやってくのが、楽しく生きてくこつなんだろうけど、こうやって思うのもべつにええやん、と思ったんですよ。
そうしないと、いつかそういうときに出会ったとき、抱えたまんまになりそうだなーと思ったから。


僕は、感情の行き場、矛先?元?わかんないけど、それがはっきりしててほしいんだなーって。
仮に、それが心臓にあったとして、そのなかで様々な成分がぐちゃぐちゃになりながら存在してるよりは、一個一個ちゃんと部屋がきまってて、出したいときに、出したいものを出せる、そんな状態でありたいんだなーーと思った。

ってのを思ったんだなーって。
滅茶苦茶自分勝手やん。


それは本編とは関係ないんでいいんですけども。



とにかくそんな事を考えた夜でした!!!



整理整頓、できるようにします!!!!



須藤飛鳥

おこめのごはん

RADWIMPSの名盤におかずのごはんというものがある。
だからといって、おこめのごはんは意味分からないなとは思うけど。

どうもこんばんは、須藤飛鳥です。



最近暑いっすねぇ。なんかブログ書くとき大体最初に季節の話してるな。なんかこういう定型文?枕詞?みたいなの好きなんですよね。これもよく言うけど様式美ってやつですよ。
ただね、暑いのは嫌い。暑いとなんもかんも放棄したくなる。考え事とか全然進まないのよ。


皆さんは、どういうタイミングで考え事することが多いですか?
僕は多分一番多いのが、終電を逃したりとかして夜道を歩いてるとき。最近はあまりなくなったけど、この時にブログを書くことが多い。
次が寝落ちるまでの目を瞑ってる時。なんか雑念とかなくていいんだよね。
後はお風呂入ってる時とかかな。動画とか見てなければ考え事してるかも。今もお風呂でブログ書いてるし。
考え事じたいは割りと好きな方なんですよ。うまくいけばワクワクするし、バイト中暇で暇でしょうがない時とかは考え事に夢中になれれば時間たつのも速いしね。

んで、なんでこんな話をしてるかと言うと、なんでだったか、きっかけは忘れちゃったんだけど、昨日寝る前に、私の所属劇団、空想笑年について考えてたんですよ。
んで、最終的に、どうしたらもっと皆さんに知ってもらえる、知ってもらえた上で、好きになってもらえるのかなーって考えてたんです。



僕ら空想笑年は「分かりやすさと面白さ」「期待に応えて、予想を裏切る」をモットーに、いつでも誰にでも楽しんでもらえるお芝居を作っています。
そして実際面白いです。
だがしかし現実、誰もがしっているような有名な団体か?と言われるとそうではない現状です。
これを、どうしたらいいんだろうなーって考えてたんです。
んで、答えとかじゃないんだけど、僕なりに思うところがあったからブログにしちゃえと思ったんですね。
それでは初めて行きましょう。


考えてた時に、なんか良い例えないかなーってなって。
誰かに相談とかするときに、わかりやすく自分の言いたいことが伝わったほうがいいじゃないですか。で考えた結果、
まず、世の中にある劇団を全て定食屋に置き換えます。
わかりやすい。わかりやすいぞー。

つまり、定食屋、空想笑年ですね。

で、料理、つまり作品をお客様に向けて日夜つくっているわけですよ。
で、他にも沢山の定食屋さんがあって、売れてる売れてないとか、流行ってる流行ってないとか色々あると思うんですけどうちとは何が違うんだろうな~って考えてたんです。




僕の独断と偏見ですけど、うちって色がみえにくいなーって。



例えば他の定食屋Aがあって、そこはしょうが焼きがとにかくうまい!!ちょっと味を変えたしょうが焼きもあったりとかして、とにかくしょうが焼きだったらAだ!
他にもBは唐揚げがうまい!!からあげだったら何処にも負けない!!ってのがあったらそこはそれで勝負できると思うんですよねぇ。
劇団の色みたいもの。
最近の世の中って、ちょうどいい呼び方分からないから性癖って言いますけど、どの性癖、ニーズにささるかだとおもうんですよね。
SNSとかが活発になって、良くも悪くも、「俺は、これが好きなんだ!!!!!!」って声を大にしていえる世の中になった。そして好きなもの同士が拡散しあってバズったりするわけだ。
そんな中、僕たち役者、劇団はその好きなものをお芝居という作品にのせて世の中に発信している。僕らはこれが好きだ、これを見てほしい、ここだよと!
そして世の中に見つかると流行っていくわけなんですよ。

じゃあ空想笑年はその好きなものというのがないのか?
それは違くて、ちょっとちがくて、

分かりやすくて面白い、期待に応えて、予想を裏切る、いつでも誰でも面白い

これってすごく曖昧なものではあると思うんです。
僕は定食屋空想笑年の美味しいものはお米という意味でのご飯だと思ったんですね。
そりゃあご飯が美味しいほうがいいにきまってますよ?
でも僕はご飯を食べにいくときにご飯が美味しいかで、お店決めないなって。焼き肉が食べたいからあそこ、餃子が食べたいからあそこって決めるなって。

ご飯が美味しいのは当たり前。
そんな意識が少なくともあるんじゃないかなーって。


ブラス、昨今はSNSYouTubeとなお手軽なものが流行ってるわけです。
面白いもの、凄いものが、本当にいつでも、しかも無料で、たくさん見れる世の中で、僕らは決して安くはない値段で、決まった日にちのなかで、来てもらってお芝居を見てもらうわけです。
もちろん、だからこその価値が舞台にはあります。だからこそ僕は舞台が、お芝居が好きです。
でも、全員がそうではない。
ただ、お腹が空いてるだけの人は、定食屋にはいかない。コンビニで済ます。コンビニも美味しいし、なによりお手軽だから。



そんなようなことを考えていました。
難しいなぁって。温度差っていうのかなぁ。
僕らはそれこそ生活をかけて、人生かけてお芝居してるけど、はっきり言ってそれ作品には、見てる人には関係ないじゃないすか。もちろん真剣なほうが良いものができると思う。
でも、結果として面白ければ、それはそれで評価されるとおもうんですよね。


じゃあ、どうしたらいいんだろーって考えたときに、一番簡単で、単純なのは僕ら所属の役者が有名になりゃ、認知されたらいいんだなって思った。
定食屋空想笑年には、あの有名な須藤シェフがいる。そのシェフの料理が食べられるのは空想笑年だけ。
ってなりゃ、そりゃ食べにくるもんなって。



ただね、すげー綺麗事いうと、ちょっと納得いかなくて。
なんかそれ違くねってひっかかっちゃったんすよ。
実際多分違くはないんすよ。
俳優が、料理人が大きくなれば、その店も必然的にでかくなるし、有名になるこれは当たり前の事だと思うし。
間違ってない事だと思う。正しいやり方だとも思う。
でもなんか、そうじゃなくて、魂そそいで作った料理を、渾身の一皿を食べてもらって、美味しいって思ってもらえて、それで好きになってもらいたいって、思っちゃったんですよね。
定食屋空想笑年の料理は世界一美味しいんだ。
TEAM空想笑年の舞台は世界一おもしろいんだ。




そうやって思ってもらえたら、きっと幸せなんだろうなぁーって。




そんなことを思っていたら、気がついたら朝でした。寝てしまったんですね。
一晩たって、今こうして改めて書いてますけど、変わらず同じように思いますよ。

結局、ちゃんとした答えはでなかったけど、でも少なくとも俺は頑張ろうと思ったし、空想笑年が好きだなっておもったし、
やっぱ、おもれぇなぁと思えたから、一歩前に進んだ。
これは間違いない。


今のうちにチェックしといたほうがいいですよ、皆さん。
流行ってからじゃたべられないかもしれないよ?




今年は10月に本公演をやります。
大変な世の中だけども、それでもやります。
楽しみにしてる劇団員、そしてお客様のために。





空想笑年渾身の「おこめのごはん」
是非、お召し上がりください。






須藤飛鳥

こっち見て。目をそらさないで。

虫はダメです。足が多いのとか。暑くなると増えるよね。

どうもこんばんは、須藤飛鳥です。


今って、スマホで漫画読めるじゃないですか。しかも無料で。
だから色んなもの読んじゃうんですけど、今日面白いのあったなーって。
アイドルオタクのお医者さんがいて、そこに妊娠した推しアイドルがきて、うわーってなるけど頑張ろうとしたら、通り魔みたいなのに刺されて死んじゃうんだけど、推しの子供として転生するっていう。
すご、おもろってのに出会ったわけです。
んで、すげーおもしれーって見てて、僕が読んでたアプリでは6話とかまでしか公開してないので、まだまだどうなるかは分からないんですけど、ふと思ってね。

例えば、そのアイドルがどうして妊娠したのかとか描かれるかもしれないわけじゃないですか。
他にも業界の色んなこととかも描かれるかもじゃないですか。
僕はすごーーーーくはまったアイドルとかいないのでわからないですけど、アイドルじゃないとしても、そういう見たくないものみたいなのってあのかなーってふと思ったんです。





気持ち悪い、っていうのかな。




なんか、わからんけどそういうの。


何を気持ち悪いって思うのかは人それぞれだからなんでもいいんすけど、どうしたってそういうのはでてくるわけじゃないですか。
俺、あんまりそういうのに触れてこなかったなーって。
浩か不幸か。


以前、誰かにいわれたんですけど、僕が書くお話って、優しいんですって。
なんか人の前面?が詰め込まれているって。
僕じしん僕が思うきれいなものが好きなのでそれでいいかなーって思ってたんですけど、なんか、それじゃつまんないのかな。
乱暴な話、気持ち悪い?そういうところって、うってなるじゃないですか。それだけで心に届くというか。
病気の話をするみたいな、そういうのも必要なのかな~って。

汚いと思えるものがあるからこそ、綺麗なものも引き立つこともあるよなと。


だからもうちょっとそういうものにも触れなきゃなとおもったんです。
見たくないものも見る。そこから選ぶ。それ大事。かなと。


って思ったんだよって報告と、忘れないための記録を兼ねた、
更新したよってことにするしょうもない記事でした。
すいません。面白いことかけるよう頑張ります。



見てるからな。



須藤飛鳥

予定通りにはいかないもんさ。

急な休みの日、どっかへ行こうと思うとだいたい準備の段階でめんどくさくなってしまう。

どうもこんばんは、須藤飛鳥です。



いやー、お久しぶりですね。もう何度これを言ったかわからない。わからないから今回は触れないでいきます。

さて、ここ最近、世の中は大変ですね。大変って言葉では流されないくらい大変。それでも頑張るしかないのですが。
そんな中、先程僕は舞台に立っておりました。初日でした。
運がよかったのかなんなのか、お芝居のお話を頂いてそれが始まったわけですね。
不要不休ではないんですよ。少なくとも僕にとっては。


今回、出させて頂いてるのは、しみくれ という団体さんの ずっこここにある小さな塊 という作品です。

演目は初演の再演らしく、変わったところもありますが概ね同じみたいです。
しみくれさんには初めて出させて頂くんですけど会話劇でして、僕滅茶苦茶会話劇久しぶりなんですよ。んで、共演する方全員初めましてだったんでめちゃくちゃ緊張したんですけど、それは別に需要なさそうな話なんでやめときます。
でも、みんな大好き。本当いい人たち。




例えば、いつもと違う事が起こると楽しくなりませんか?
僕はなるんですけど、それと同時に怖いなって思うこともあるんですよね。何が起こるかわからないし、どうなるかもわからないから。もちろん何も変わらないかもしれないけど、でも、多分同じではないんですよ。
僕は、少なくとも僕は勝手にそんな感じの事をこの作品で思いました。

本当ね、どこにでも誰にでもある話なんですよ、この作品。
これくらいならネタバレにならないと思うんですけど。
明日、自分の身に起きてもおかしくはないなーって。そんなありきたりな10人がそれぞれ悩んで、何か決めて、何かが変わるそんな感じです。
普通ですねー、普通。




普通って愛おしくない?
なんか当たり前が良い、普通が一番、とかそういうことじゃなくて、ありきたりって凄く情緒があるなーって僕は思うんです。
劇的なシーンで、劇的な言葉を吐いて、ってそれももちろん良いんですけど、そういうのより、ただ、朝、パンを食べてるとか、誰かの仕事してる後ろ姿を見ているとか、そういうものの方が絵になるなって、そう感じるんですよ。なんだ、歳かな。
じわじわと、あって。目を凝らしてみないと気づかないような。でも当人にとっては凄く大事なことで、まるでそれだけで世界がかわっちゃうんじゃないだろうか。そういう風なものを目の当たりにするのが好きなんです。しみくれそんな感じです僕にとっては。

さっき、世の中大変って言って、本当に大変で、予想外の、出会ったことのない日々を生きていて、なんだか、この作品の中のほうがよっぽど当たり前の日常みたいなんですよね。
気づかなきゃ何事もなく過ぎていって、声をかけなきゃはじまらなくて、忘れちゃえば変わらない日々。
それをできなかった、したくなかった人たちの、なんともない、でも大事な、大事な日々のお話。
そりゃあ愛おしいね。



ほっとけなくなりますよ、誰かを。
あなたにとっての関係がある誰かを、気にしたくなる。
そんな事を思っていただけたら嬉しいな。そんな事をおもいながら演じて、そしてこれを書いてます。

彼等の日常、見てなかっただけであるから、気づいて見てくれる人がいたから、これはもう止められない。なかったことにはならないんだな。
だから、最後までやるよ。


まだ、お席もあります。
もちろん最大限対策をし万全の状態で上演しております。
ふと、見てみたくなったら、触れてみたくなったら、覗いてみたくなったら、是非ご来場ください。
本当に本当に嬉しく思います。




こんな筈ではなかったかもしれないけど、でも、今は楽しい。
良かったと僕は思ってる。
それでは、また明日。




須藤飛鳥

それはいつのまにやらあって。

閉店してしまったお店の跡地とかさ、ある時はちゃんと覚えてるのに、無くなったとたんなにがあったかわからなくなるよね。
、、、これ、いつの間にか無くなった話やん。


どうも、こんばんは。須藤飛鳥です。


なんだか、心臓がいつもより早いので今日は書き時。と思ってたんですけどそんな事なかった。日をあけて改めて書いてる。
なんやかんやで、この記事で50回目だそうです。
毎日、毎回とかではないけど、珍しく長く続いてるなぁと、自分では思います。
僕、基本飽き性で、長く続いた事といえば、学生時代にやってた剣道と、お芝居くらいじゃないかなぁ。
だから、結構珍しいことなんですよ、これ。
とりあえず目指せ100回ですかね。果たして何年後だよとは思うけども、頑張ってみようよろしくね。

気がついたら劇団に入っていました。
いや、気がついたらではないんですけど。入利他かったから入ったんですけど。
空想笑年という団体で、ずっとお世話になっていた所で、色んなご縁やタイミングが重なって、所属することになりました。
同期も二人出来ました。せっかく同期になったんだからと思って三人で定期的に何かしようとおもって同期会なるものを始めたら、これが楽しくて、軽い気持ちで始めたのに今では楽しみになってるなぁーとも思います。まだ三回しかやってないけどね。


空想笑年とは別に僕、自分の団体もあるんです。僕しかいないんですけど。
AM4:27-SELFISHと言いまして、どうだ、読めないだろー。んで、こっちは、僕が見たいと思った綺麗なモノを作ろうと思って立ちあげたんですけど。

さっきも言ったんですけど、こっちは僕一人だけなんですね。

なんか、難しくて。
そもそも、入りたいって言ってくれる方もいないし、そもそも、一度しかまだ公演打ってないからなんともいえないんですけど、
劇団員?メンバー?なんかそういうのになってもらうって結婚とかと一緒だなって思ったんです。
なんか、同じ目的、モノに向かって進もうって思ったから同じところになったわけじゃない、そしたらそのあと別れるの嫌なんですよ。そしたら、生はんかな気持ちじゃ誘えないし、いないなぁーって。
公演に出てもらいたい役者さんはいっぱいいるなぁーって思うんですけどね。
難しいなぁ、と思ったんです。


ところが、ですよ?
僕、劇団入ったじゃないですか?
言い方あれですけど、別に空想笑年と結婚したいなぁとは思ってなかったんですよ。
そりゃ、やめたいとも思ってないですけど。
でも、自分が自分の団体のメンバーになってほしい気持ちとはちがうなぁーってなったんですね。

同期もそう。
僕、名前とか関係性とか好きなので、同期、ってだけである程度自分のなかで勝手に盛り上がれるんですけど、それとはまた何かちょっと違うなぁーって。
なんて言ったらいいかわかんないけど、空想笑年と同期に向ける愛情は家族みたいなもんで、自分の団体への求めてる愛情は恋愛。みたいな。
これもなんかちょっと違うきがするけど、差みたいなものはこんな感じに近いかなぁーって。


よく、無くしてみないと大事な事に気づかないって言うけど、関わってみないと大事なことに気づかないこともあるんだなって、改めて当たり前な事に気づきました。


僕の団体に関しては、僕のわがままなので、きっとこれからも求めて行きつづけるのだろうけど、きっといつかそれも、ふと、現れた人がそうだったりするのかもしれない。
恋愛とかとそうだしね。俺はそう。


なので、いとせず、気づいたこれをこれからも大事にしようと思った、そして、いとせず、色んなもの拾って、大事そうなものを探していこうと思った。という話でした。
これ絶対最初に書こうとおもってものとちがうわ。




でもま、いっか。
いつかこれも大事な何かになるだろうし。





須藤飛鳥