後ろ髪。

後ろ髪


1

そもそも、なんでこんなことになってしまったんだろう。まさかこんな事が自分に起こるなんて。
とりあえず、


全然覚えてない。
全然覚えていない。
けれど、


だけど、でも今、俺の横には、白鷺さんがいる。
寝てる。白鷺さんが寝ている
そして多分ここは、白鷺さんの家。



なんで?



つまり
そういうこと?
そういうことなのだろう。そういうことなのか。

今にも頭が爆発しそうだ。落ち着け俺。
白鷺のどか。
仕事の同僚。それ以上でもそれ以下でもない。少なくとも俺はそう思っている。
用件意外でしゃべったことはあまりない。そもそも、彼女が誰かと親しげに話しているのを見たことがない。テキパキと仕事をこなし、いつも提示にはすぐに帰る。仕事ができるから誰も文句はない。
綺麗な人だが、そのとっつきにくさから、浮いた話も全く聞かない。


そんな彼女が、隣で寝ている。


何故だ。
考えたところでわかるはずもない。そもそも何度も言うが全く覚えていない。我ながら最低だと思うが、見に覚えがないのだ。

だが、現に俺は今、彼女の家と思わしき場所にいる。きっとそういことなのだろう。
服はお互い着ている。
だが、多分、そうなのだろう。



困った。

どういう形であるにせよ、俺は今そういう気持ちにはなれない。
彼女が本気なのだとしても、その気持ちには答えられない、余裕がない。
ただでさえ気は進まないが、身支度を整え外に出て、
俺は、彼女を想い、手を二つ、叩いた。



2

白鷺「お話があります。」

終業後、真っ先に彼女にそう言われ、俺は大層驚いた。
そのまま有無を言わさず外に連れ出され、職場から少し離れたバーにいる。地下におりた、隠れ家的なバー。彼女がこんな店を知っているのが少し意外だった。後、会社を出た時の主任のなんとも言えない顔が忘れられない。

白鷺「昨日はすみませんでした。」

席につくなりそう言われた。

秋久「、、昨日?」
白鷺「はい。」

彼女は覚えていた。
たしかに昨日、俺は彼女を想い手を叩いた。

しじま渡り。そういう名前。そういう名前の力が僕にはあった。親しい人間の記憶から、自分の記憶だけを消す事ができる力。
幸か不幸か、俺にはそれがあった。
今まで消せなかった事は一度もない。条件さえ整えば消したくなくても消えるのだ。
でも彼女は覚えている様子。
ということは、俺と彼女はやはり、そこまで親しいわけではないのだ。
では何故、あんなことに?

白鷺「私、酔い癖が悪いみたいで。少しなら大丈夫なんですけど、一定を越えると荒れるみたいなんです。無理を言って話をきいてもらったのに本当にすみません。」

そうだ。余りにも混乱していて忘れていたが、昨日俺は彼女に話しかけられたのだ。
終業後、どうしても終わらせたい仕事があって一人で残業していたら。ふらっと彼女は現れた。いつもどおり先に帰ったはずなのに。
それどころか、なんだか酷くうつ向いていた。さすがに放っておけなくて声をかけようとしたら

白鷺「飲みにいきませんか?」

そう、彼女に告げられたのだ。

白鷺「話を聞いてください。」

やっぱりその時も断れなくて、連れ出され、これまた意外なおしゃれバーに連れていかれ、彼女は大層酒を煽った。飲み過ぎはよくないと言っても彼女は黙って飲み続けた。そもそも話とはなんなのか、そんなことは聞けず、しかたなく俺も酒を煽った。あまり強くないのに。
そして、気がつけば、潰れ、気づいたら、あそこにいたのだ。


秋久「いやいや、俺の方こそ、途中でつぶれちゃって。ごめん。」
秋久「なにか、話があったんだよね?」
白鷺「はい。」

彼女は話す。見たことのない早さ、勢いで。それは真摯に。
不倫をしていた事。その相手に捨てられたこと。家まで詰め寄ろうとした事。中から家族の楽しそうな声がした事。自分が、とても、惨めに感じた事。
つらつら、つらつら、と。
よほどたまっていたのだろう。
口からは言葉、瞳からは涙が零れ、端から見れば、俺が悪者だった。

とにかく、誰でも良いから恋しかった、話をきいてほしかった。
気がついたら会社に戻ってきていて、たまたま俺がいたのだと。

そんな事を話していた。

正直、内容はそこまで聞いていなかった。
そんなことより、こんな話をしている彼女がいつもよりも綺麗に見えた。
弱くて、ダサくて、みっともなくて、それでも綺麗だった。そんな彼女に見とれてしまったのだ。

白鷺「それで、」

現実に戻る。

白鷺「こんなことを聞くのは本当に失礼だとはわかっているんですけど、昨日、何かありましたか?」


わからない。
本当はわからない。あったのかなかったのか。俺にもそれはわからない。
ただ、ここであったといえば、多分俺等はこれからも何かあるのだろう。彼女の寂しさを埋め、俺の寂しさを埋め、もしかしたら、もしかするのかもしれない。
さらに綺麗な彼女が見れるのかもしれない。

秋久「なかったよ、何も。」
白鷺「そうですか。」
秋久「うん。」

でも何もないのだ。
俺は昨日、彼女の中から俺を消した。だから、何もない。
そしてこれからも何もないんだ。

白鷺「なら、よかったです。」
なんとも言えない、顔で言った。

それから、とりとめなのない会話をした。お酒は控えめで。
彼女はよくしゃべった。色んな話を。俺は心地よく相づちを打つ。
あっというまに時間は過ぎる。

白鷺「今日もありがとうございました。また明日、おやすみさない。」
秋久「また明日。」

手を降る。
当たり前だが、彼女は振り返らない。
二度、手を叩こうとして、止めた。
そもそも、彼女のなかに、俺はいないのだ。






須藤飛鳥